Flower




雨が黒板を濡らし始めた。白いチョークで描かれた丸く可愛らしい文字は、読みづらくて何を伝えたいのか、理解まで時間がかかった。


「本裕的エスプレット」


これは、「本格的エスプレッソ」と書いているつもりだろうか。

本格的なエスプレッソってもはやそれが何かわからないけど。


イタリアのエスプレッソを知っているのだろうか。

深煎りのコーヒー豆を細挽きか出来れば極細挽きでグラインド。圧力をかけ熱湯と共に瞬間的に抽出する。クレマ・ボディ・ハートに分かれる層が美しく、味にも比例する。

その瞬間を楽しむには、10秒以内に飲むのが「本格派」のバリスタが作るエスプレッソだ。


私の頭の中で無駄な知識パレードが開催されるのはよくあることだ。


そういえば、bar YORIDOKOROで飲むエスプレッソ・マティーニは格別だ。

「エスプレッソ好きならこれだな。世界でも10位以内には毎年入る定番カクテルだよ。」

と、内川さんが言っていた。内川さんは普通はウォッカベースで作るところを、私の好きなハバナ・クラブというラムで作ってくれる。熟成による甘みと深みがエスプレッソと共鳴する。


そうだな、書くなら


「本格派バリスタの店」


これだけで期待感は増かな。カフェラテやカプチーノも美しくカップに描いてくれそうだ。

流行りの「映えー」で「栄えー」みたいな。

客足は絶対に増える。

実際に本格派と分かれば、リピーターが増えるのかな。

年齢層は、、、


そんなことを考えながら、私が実際働いているのはその向かいのお店なのだが。


「フラワー長井」


花。

私の大好きな、花。


時季はそれぞれに、互いの咲くべき瞬間に咲こうと生きている植物。元々は人間よりも早くこの世に存在した植物。世話など要らない。人間は余計に手をかけ、環境を変え、薬を使う。


花は、自らが咲くべき時に咲く。咲くべき、その時に。


それは古来から人間に例えられる。


ヒトが、花を初めて発見したその時の気持ちになってみれば、必然的。もしかしたらヒトは花から生まれたのかもしれない。


事業に成功!

夢をつかむ!

遂に花が開きました!


と、ある一種の宗教かと思わせる広告はもう見飽きた。


咲くべき時に咲くことが出来ない人がたくさんいる。花には種が必要だけど、種は命。人間には大概ある。萌芽までは、ほとんどの人が生長できる。それが家族だったり、学校のおかげだったり様々だけど。養分を得る為には根を張る必要がある。光合成には絶対に「太陽」。雨だって必要不可欠だ。

一人でに、花は咲けない。


人間の多くはそれを分かっているようで分かっていない。


人間よりも先輩なんだから、ちゃんと植物に学ばなければいけないのに、そこらで踏んだり、切ったり、乾かしたり。

だから本当の開花をほとんどの人は知らない。


花が美しく咲いたとき。そこに、その瞬間に意味がある。あとは、土に帰るだけだ。


といっても、商売は商売。私も生きなきゃいけない。

毎日世話をし、お花の命に感謝し、お金をもらうのが私の役目。


「本格派・花ソムリエのいる店!なんてどう?」


電話でこずえに聞いてみた。


「花ソムリエ!いいじゃーん!ナントカ大陸とか特集されそう!」


明るい声が絶対返ってくる。こずえは本当に羨ましそうに言う。


この子も音楽の世界という壁に挑み続けているのに、まだ露を蓄えた蕾かも、だけど努力は必ず報われる。

そこに根があって、太陽が照らしてくれる。


こずえは本当に友人として私を愛してくれている。

この子が放つ純白で黄色く明るいオーラは、いつも悩みがちな私をいつも照らしてくれる。


出会って、8年が経つ。

気持ちが微妙に変わりはじめたのは5年ほど前か。


今も、まだ、これからもきっと、ずっと。伝えきれない、この気持ちは、あまりにも不平等だと思った。

花弁というのは、ほとんどが平等に揃って咲いているけれど。


ヒトは平等ではない。


それが私の自分の花屋さんをやろうとしている本当の理由。

誰にも言えない。いや、言わせてくれないか、この国は。


ひたむきに、音楽に向き合い続けるこの子の、花が咲くのはいつだろう。私はずっと見守りたい。ずっとそばにいたい。


この蕾を咲かせる太陽になりたい。


綺麗な花弁を、この世界に開いてやるんだ。


「ねえ、こずえ。一緒に働かない?私の花屋、二人で。あなたの好きな音楽、お店でやっちゃってよ」


電話の先のこずえの目はいま、私を見ている。

ふと、外の雨が止んだ気がした。