Quartetto



仕事が終わって、急いで彼女に電話した。


「いまキャロットスープ作ってるの。」電話に出た彼女はそう言った。電話の後ろで、刻み良いジャズピアノが聞こえる。彼女の得意料理。生姜とサワークリームも入れて、煮込み続ける。


「長くない?」と2回、聞いたことがあるが、もうそれ以上は諦めた。


なんといっても、美味しいのだ。ほっぺたが落ちるなんて、胃袋を掴まれるなんて、そんな話はした事ない。だけど、これがそれだ、多分。


それ以降、キャロットスープが私の大好物になったのは、言うまでもない。


美味しいものを食べると、とろけるような笑顔になる彼女と、「一緒に生きていく」と決めて、9年が経つ。


ヴァイオリンという道を諦めないこずえ。


でも、成功の形は一つじゃない。根があって、太陽があって、雨が降れば、どんな場所でも花は咲く。


こないだお店で聴いたヴァイオリンも最高だったな。すっかり周りの人も虜になっちゃって。


家に急いで帰る。


今日はお店のサイネリアが満開でお家にも欲しくなったので持って帰ってきた。


こずえにぴったりなお花。


花言葉は、”always delightful”


あ。


1個前の曲がり角に落ちていた空き缶が気になった。急いで戻る。捨てる場所が見当たらないのでとりあえず持って、また小走りした。理由は無いけど、余裕も無い時は、そんな事をしてしまう変な癖。


左手に空き缶、右手にサイネリアの花、数輪。


鍵を出すのに家の前であたふたして、カアン、と空き缶を落としてしまう。キャロットスープの香りが外まで漂ってきている。


胃がきゅうと鳴った。


え。


「はあっぴばあーすでえー とぅ〜 ゆぅ〜」


扉、開かれたり。万面の笑みのこずえ、そこにあり。神様、ありがとう。


「なんだ、缶の音だったか。マリ、誕生日おめでとう!」


ありがとうと言って、頬にキスをする。それから落とした空き缶を拾う。


お風呂にします?ご飯にします〜?


なんというこずえだ、上機嫌すぎる。私は呆気にとられる。


「どうりで今日帰るの早いと思った。自分の誕生日なんて忘れてたわ。」

鼻歌を奏でるこずえの耳には届いてないみたいだ。


今日は私の誕生日だったか。オードリーヘップバーンと同じ54日。これだけは小さい頃から自慢していたんだと思い出した。

いつから、自分の誕生日を忘れるようになってしまったんだろう。

周りに、馬鹿にされるようになったのはいつからだったか。

自然と男の子の友達が多かったから、周りの女の子に敬遠されたこともある。

嫌ではなかった。

そんな社会が嫌だった。


お。


ダイニング兼デスクでもある、決して大きくはないテーブルにはすでに、豪華なるディナーが勢揃いしていた。


手を洗い、うがいをし、私が椅子にかけると、


「じゃじゃーん。実はね、いつものbar YORIDOKORO寄ったら、堀田さんがね、シャンパンくれたの。そして内川さんと蓮太君からおうちでカクテルセット!このチキンロールもうっちゃん特製よ。」


今の時代、本格的なカクテルもおうちで楽しめる時代なのだ。

今日のセットは、グレンリヴェットのオールドファッションと、ハバナクラブのエスプレッソマティーニだった。


さすが。好みを分かってらっしゃる。


彼女が出したシャンパンは、シャルル・エドシックとフランス語で書いてあった。


「本当にありがとう、こずえ。明日お礼に行かなきゃだね。」


シャルドネ、ピノ・ムニエ、ピノ・ノワールという葡萄を使う、フランス・シャンパーニュ地方でのみ作られるものがシャンパンであると、内川さんが以前教えてくれた。


「堀田さんがこれをくれた時、大切な人へ送るシャンパンはこれが1番さ。って言って渡してきたの。まさか私に?なんて思っちゃった。恥ずかしかったわ。」


こずえの赤くなった顔が容易に妄想出来た。

「堀田さん、素敵な人ね。やっぱり。」


綺麗なロゼ・シャンパン。

その後ろで、さっきとりあえずに挿したサイネリアも重なる。


「ピンクの二重奏だわ」


そう私が呟くと、少ししてから、こずえと目が合う。

小さく口角を上げたのが見えた。キッチンで何か最後の仕上げをしている。


「じゃあ、これで三重奏よ」


こずえが持ってきたのは、ピンク色のキャロットスープ。


「知ってる?オードリーヘップバーンってトマト大好きだったの」


な。


オードリーヘップバーンと結んでくるなんて反則だ。


「ふふ、だからこじ付けに聞こえるけど。シャンパンに合わせてロゼ・カラーにするのにトマトも使ったの。マリの口に合うかしら」


恥ずかしがって言うこずえ。

合わない訳あるかっ。


それから、乾杯をした。どれも最高に美味しかった。

特にキャロットトマトスープは、絶品だった。


酸味のバランスを取るため、サワークリームではなく、バターを加えたそう。それで淡いピンク色になるのかと納得した絶品すぎて、またほっぺたが落ちた。


「それでね、堀田さんったら、、、」


たわいもない会話が、部屋の空気も暖めていく。


サイネリア、ロゼ・シャンパン、キャロットスープ。そこに、幸せそうな頬を赤らめた表情のこずえが重なった。


幸せすぎると恥ずかしい言葉もついに出てしまうものだ。



「私にとっては、カルテットだわ。」


照れたこずえは、少しして言い返した。


「あのね、私も」




「人生において最高のものとは、お互いの存在である」

オードリー・ヘップバーン