「本当に、出来るんだ」
赤、橙、青、黄、白、緑。
「絶対出来ないでしょ。出来っこない」
僕の側で馬鹿にしていた、5人兄弟末っ子の弟がまん丸の目を輝かせて四角い物体を見つめていた。
僕は出来ないことが出来るようになった。まぐれかもしれない。小さな奇跡と呼んで良い。
その時は、高校の卒業式の直後だった。都内の大学に入学するため、引っ越しの準備も終わって、初めての上京にワクワクしていた。
今、BAR YORIDOKORO でバイトしていると、お客さんに毎回のように聞かれる事がある。
「そういや、地元はどこなの?」
「あ、宮城県です」
僕は地元を紹介しただけなのに、そう答えるだけで少し気まずい雰囲気になる。
「その、あの時は、大丈夫だったのか」と聞くか、聞かないべきか。
ほかの話題が出てこないのか、とりあえずは仙台牛タンの話をするばかりだ。定番のお土産の話ももう聞き飽きた。
今から9年前、ルービックキューブが初めて全面揃ったその日。
地震が起きた。
父の仕事の手伝いで仙台の港にいた。海から約2kmくらいだったろうか。父は中古車販売と免許代行を主とする「アメリカ車専門の車屋さん」を経営していた。
◯◯屋さんと呼ぶ日本の文化は江戸時代から、と調べたことがある。「屋さん」が付いてる仕事は、夢のある仕事だと小さい頃から思っていた。
父がビルから出てくるのを、車検を取った車で待機していたその時。
「ウィーン!ウィーン!」
スライド式携帯から巨大なサイレンが鳴った。
一斉になったあの嫌な「音」は一生忘れない。とりあえず車から脱出すると、立っていられない揺れに煽られ、アスファルトに這いつくばったところで状況が最悪である事を理解した。
近くの警備員さんと目が合った。
「やばいですね」「やべーっちゃ、これー」
自分よりもかなり方言鈍りしていた警備員のおじさんも地面に四つん這いになっていた。そして、その人はどこかで見たことある顔だった。
周りの何十台と駐車している車達も、地震の揺れによりセキュリティが発動し、そこら中で警報が鳴っている。
ビルから沢山の人が出てくる。聞いたことのないほど大きな悲鳴と、どこの、何が、ぶつかる音なのか分からない破裂音や衝突音。色のどす黒い煙が、あちこちで上がっている。
コンクリートを作る工場の、長いパイプやタンクが倒れるのが見えた。
「煙草は吸わないでください!」誰かが叫んだ。
まるでリレーのように言葉が伝わっていく。初めて感じるタイプの緊張と不安が、全身の隅々まで完全に支配した。
父は新しいナンバープレートを貰いに行っていたはずだが、全く建物から出てこない。
考えたくもない悪い予感が、脳裏によぎる。
5分ほどして遂に僕は「ダメだ、ビルの中へ見に行こう」と決心して立ち上がった。その時、知らないおばあちゃんをおぶって父はビルから出てきた。恐らく、最後の避難者だった。
「ったく、ババアもジジイも皆んな腰抜かしやがって」と言って、舌打ちした父。
え。こっちも拍子抜けさせられた。最悪な状況なのに、笑ってしまった。
車に戻ると、父がラジオを付けた。ノイズ音を混ぜて、焦ったアナウンサーの緊迫した声が聞こえてきた。
「先ほど、太平洋沖で大地震が発生しました。宮城県では震度7、震度7、マグニチュードは9と速報が入って参りました。津波警報が出ています。海沿いの住民の方々は直ちに高台へ避難してください。直ちに、高台へ避難して下さい。繰り返します、先ほど、太平洋沖で...」
「津波か〜。これは来るね、デカいのが」と父が言った。
ラジオから信じられない言葉が続く。
「えー、予想される津波の高さは、10m、10mです」
頭の整理が追い付かない。僕が読んでいた大好きな漫画で、どデカい津波が街を飲み込む場面があるのを思い出した。
いやまさかそんな津波が来る訳ないでしょ。
心の片隅でそう思っていた。
どうにか逃げようと駐車場を出るにも、街は大混乱。
信号は全て倒れ、電柱はなぜかダルマ落としでもされた様に、地面に深く刺さり込んで低い位置まで下がっていた。
津波が来ない所までとにかく逃げよう。
自宅まで約40km、母や祖父母、兄妹達とも連絡が着かず、僕はもう混乱して思わず泣き始めた。
「この世の終わり」とはこの事だと思った。
流石の父も焦っていた。
父は車で歩道に乗り上げて何とか逃げ道を見つけた。
とにかく、遠くへ。後ろを振りかえると、反対車線の車も、反対にこちらへ向かって走ってきているのが見えた。
僕は泣きながら、唯々、祈っていた。
「神様、お願いします」
「神様、お願いします」
ラジオの声はほとんど聞こえてなかったが、ぼんやりと繰り返され続ける情報が耳に焼きついた。
「えー、新しい情報が入って参りました。先ほど、名取川でおよそ200ほどの流死体が流れ着いたのを発見しました。繰り返します、先ほど...」
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