Catch Ball & Rice






ほかほかのご飯。


白く、煌びやかでつるつるなお米。


湯気が立ち、硬すぎず水っぽくなく最高のコンディションで口に入る。


その味は、僕が物心付くよりも前に、身体が勝手に覚えている。


ばあちゃんが、毎年作っていたお米。籾から育てるその原始的な稲作のやり方で、毎年家族だけが楽しめる何よりも美味しいご馳走だった。


ガリっと口の中で音がした。ぺっと手に吐いて見てみると、口から出てきたのはいつの物かも分からない、乾ききった米の塊だった。


「おい、なんだよこれ」


店の奥でたわいも無い会話をする店員が、大きな調理器具で牛肉をすくいあげてご飯に乗せている。


「すみません!」大きな声で呼ぶとすぐに来て、カタコト言葉で、「ハイ、オマタセシマシタ、ゴチュウモンハオキマリデスカ」と聞いてきた。


上京して17年。もう40代も後半になって、身寄りは無い。毎日のように通う牛丼屋で、外国人店員に文句を言い付けるのは億劫に感じた。美味しい米の味の違い、その価値観をぶつけるのに390円の牛丼では対抗できない。自分が惨めになるだけだ。


収穫が難しいと言われるばあちゃんの稲作でも、毎年夏が終わると素晴らしい黄金色の景色が完成する。家族でそれを刈り上げるのは、大変だった。


それでも、美味しいご飯が待っている、と思うとそれも辛くなかった。たわわに実った稲穂を1日かけて刈り終えると、広い広いフィールドが完成する。


田園は刈り残された稲穂の根元だけを残して、秋の涼しい風が気持ちよく通り抜ける。僕の兄はそこで「キャッチボールしようぜ!」とグローブとボールをいつも持って来ていた。


毎年やっていれば、毎年投げる球も、受ける側も、互いに成長を感じて、飽きる事はない。中学生になると、野球クラブでピッチャーをやっている兄の球は、捕るのが嫌になるほど速くなり、僕のグローブの中の人差し指と中指は真っ赤になった。


兄は今でも地元で草野球に熱を入れているようだが、もう何年も会っていない。


YORIDOKOROに寄って帰ろう。


店長の内川さんはいつも僕のくだらない話を、はっはっはっはと大きく笑って聞いてくれて、さり気なく何気ない返で、こちらも次第に笑わせられる。気付けばその日にあった嫌な事はどうでもよくなる。帰り道には、「明日は今日よりも、5分だけ少し早く起きるか」なんて、そんな気持ちになっている。


「今日は良いのが入ってますよ、中川さん」


内川さんが進めて来たのは日本酒だった。日本酒は自分からはあまり飲まないので詳しくなかったが、頼んでみることにした。


「醸し人九平次」と漢字で書かれたラベル。とても印象的だった。


香りを嗅いだ。

梅雨明けの気持ちいい風の吹く初夏。お母さんが部屋に運んできたあの頃のメロンが浮かんだ。その懐かしさと華やかさを含むフルーティさがピタッと脳にハマった。僕は宿題でもしていただろう。持っていた鉛筆を投げてすぐその果実にありついた。口に含むと、メロンは桃、林檎、梨などの果樹園をゆっくりと歩き抜ける。周りに生える緑色の自然も、活きいきとその草や葉を風になびかせる。そしてその先に待っていたのは、収穫を終えて待ちに待った、新米の炊き上がった瞬間。釜で炊いた、ばあちゃんのご飯の姿が浮かび上がった。懐かしい旨味がどっと深く押し寄せて、脳の先まで達した。後味には、ばあちゃんが仕込んだ渋柿のニュアンスを思わせた。


美味い。美しいほど、美味い。


だから美味しいとは、美しい味と書くんだな、と一人でに思った。


この醸造所は「純粋な美味」それを生むのは「土地そのもの」である事に焦点を当てる。毎年の天候や、積み重なった土地の年齢から、出来上がったその年の米の「表情」を読み取り、それはさぞ「人間」の様に相対する。そこから日本酒作りの調整を行う。出来上がる日本酒は、それは芸術の様に美しい酒が出来上がる。


フランスを発祥とする、「テロワール(土地そのものの持つ能力)」を活かしたワイン作りに、それは共通する。現在では、最高峰のテロワールの一つであるフランス・ブルゴーニュという土地に畑を持ち、エレガントで美しい高品質のワインも作っている。


内川さんは、醸し人九平次の魅力を沢山語ってくれた。


僕は気付けば、2合以上飲んでいた。


日本酒を作る米は、食米とは種類が違うが、米は米だ。僕は白米が大好きなんだ。

感動なのか懐かしさなのか、切なさなのか、涙腺への圧が襲いかかっていた。


兄が、高く高く空に投げた野球ボールを追いかけた。フライが捕れない僕に、兄はいつもそうやって投げてきた。刈り上げた稲の根元に引っかかって沢山、転んだ。擦り傷や切り傷もできて、痛い痛いと言いながら、ご飯を食べたりした。それでも夢中で、楽しかった。手はいつも、稲の香りとゴムボールの香りと、少しの手洗い石鹸の香りが混じっていた。泥だらけになって、兄と一緒に畦道を歩いて帰った。



結構な量を飲んだにも関わらず、二日酔いはなく次の日の仕事はあっという間に終わらせることができた。


いつも通る道角の家。その前に少年が2人座って、靴紐を結んでいた。1人は、はにかみながら、今にも走り出しそうに。もう1人の少年は弟だろうか、わずかに歳が若く見えた。口を堅く結んでいるように見えた。喧嘩でもしたのか、親に怒られたのか、頬が赤かった。


その2人の横には、西陽に照らされたグローブが二つ並んでいた。綺麗に手入れされ、使い古された同じ網の形のグローブ。良い色が出ている。ラベルだけ色違い。


僕は不意にその少年のグローブを手に取って、ボールをパン、と打ち付けた。


そしてさらに笑いと涙が込み上げてきた。


2人の少年は、呆気に取られてこっちを見ていた。


「勝手にごめんな。もし良かったら今度おじさんも混ぜてくれないかな。もう今は出来るかわからんが」


知らない子どもに頼む大人なんて不審者と思われるかもしれない。


しかし少年たちはすかさず言った。

「いいよ!今から行こうよ!!おじさんグローブ持ってんの?」


「無いけど、手で捕るよ。これでもおじさん、野球上手かったんだぜ」

「昔の話する人は、大体下手くそだよ、おじさん」と、少年たちは笑った。


昔は稲刈って、田んぼでキャッチボールして、そのまま米食ってたんだぜ。

なんて、自慢にもならないかと、僕も一人で笑った。




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